舞さんからのメッセージ
 

 

 舞さんからファンのみなさんへのメッセージ(2002.11.20掲載分)です。

 

 

 静かな週末の午後、穏やかな空気を揺らすようなけたたましい悲鳴が..私の頭を一 瞬よぎったのは「もっもしかして、龍之介…」。かけつけた私の目の前で繰り広げ られていたのは、枯れた化膿姉妹(?)を襲う龍之介の姿でした。ウォーキング途中 の2人連れの女性のうち、一人は大の犬嫌いにもかかわらず、風でフェンスの戸が開 いて脱走中の龍之介の餌食になってしまいました。私が龍之介に飛びつかれて押し倒 されて歓迎されるのが好きなばっかりに、飛びつかなくなる訓練をつんでいず、彼は 喜びを体中で表わす為に、犬が嫌いで叫んでいる5、60代の女性の「ワ−ワーキャ ーキャー」という声を歓迎の叫びだと勘違いして、さかんに飛びついておりました。 せめて、もう一方の犬好きの女の人に飛びつけば良かったものを…気の毒な事をしま した。それにしても、その人の叫び声の凄かった事。母は「後でお詫びに伺わなくちゃ」 と言いつつも、独り言で「あれだけの声が出るんだから大丈夫ね、多分地球上で最後 に死ぬ人ね」とも言っていたような…。雄叫びに心地良い昼の眠りから無理矢理引き 戻された近所の赤ちゃんが、抱きかかえられて出て来て、その光景を見て大喜びし、 その女性の連れの女の人も笑い転げているという、なんとも不思議な光景でした。ど うか皆様龍之介を見かけたら、無関心を装って彼に背を向けて下さい、そうすれば何 事もなく通り過ぎると思います。

 私の『「頑張って」が嫌い』発言に色々御意見を頂き、自分でも「頑張って」が使い づらくなって困っています。私としては、自分が使う場合、もう少し的確な表現があ るはずなのにそれを探す努力をせずに安易に便利に使い過ぎているという己に対する 反省を込めて書いたつもりでしたが、それだけこの言葉は浸透しているのですね。

 モルナール先生が在日60周年を迎えられたそうです。60年と簡単に言っています が、これは凄い事です。日本にハープのハの字も無い頃、オーストリアからハープを 持込んで、芸大を初め、主だった音大にハープ科を設立していかれました。ハープを運 んだ事もない運送屋さんのカバーのない荷台にハープを積んで、御自分で支えられて 運ぶ所から始まり、今ではその運送屋さんは、オーケストラの全ての楽器を運ぶ業者 にまで成長しました。福井県に本社のある日本で唯一のハープ製造会社の青山ハープ さんというのもモルナール先生が手取り足取りで指導されて今日まできたと伺いまし た。ここでは、モルナール先生様に指の太い人にぴったりの弦と弦の間が少し広いハ ープも作っているようです。先生の始められた軽井沢の夏のサマースクールというの には時々お忍びで皇室の方がみえていたようです。
 小さい人を教えるのは最高に上手くて、とにかく褒めて褒めて育てて下さいました。 私の場合、先生から次々にとんでもなく難易度の高い曲を与えられて、それを短期間 で仕上げて持っていくという事の繰り返しでした。小学生の頃同世代の海外の子達と 比べて、多大な期待をかけてくれる事は嬉しくも、辛くもありました。期待が大きく ても先生はあまりに忙しすぎて、2時間待って、20分のレッスンに少しずつ不満が つのっていって、先生の所を飛び出す事になりました。長い休みに外国まで出かけて 行ってレッスンを受けるという事も何度かありましたが、今は誰よりも尊敬できる今 の先生の所に落ち着きました。木村茉莉先生もモルナール先生の下でハープを始めて います。その後、お父様の仕事の都合で高校生の頃からずっとフランスでハープの勉強 をされたハ−ピストです。めちゃくちゃ頭の良い方で、理論的で、科学的な教え方で、 しかも押し付ける所がありません。「私はこうやって弾くけど、どう?こっちの方が 無駄が無いんじゃない?」というような感じですが、出てくる音は素晴らしく音楽的 です。今は芸大で教えていらっしゃいますが、人気があります。自分の持っているも のは全て惜し気も無く与えて下さって、それでいてコンサートに聴きにこられた時は 同じ一人の演奏家としてちゃんと評価して下さいます。決して、上からものを言うと いう事がありません…(最近忙しくて、何ヶ月もレッスンを受けに行っていないんで すよね)。
 勿論、今はモルナール先生とも友好的で、時々演奏依頼をして下さるのですが、私が 時間が合わなくて受けられていません。
 ウィーン少年合唱団出身の若くてハンサムで、細かった先生も、今はちょっとおでぶ なお爺ちゃんハ−ピストで先生です。

 解剖の第一回目の試験が終わってほっとしていたら、もう目前に2回目の試験が迫っ てきています。その先には3回目もある訳で、試験なんて、この先いくらでもありま すから騒いでいると身が持たないので、同じ試験は一度で終わらせる事という大原則 に従ってやっていきたいと思います。

 私はどんなに非科学的と言われても血液型と星座はどうしても気になるのですが、テ レビとかラジオで、本日の運勢みたいな占いコーナーがあるのは、好きになれません。 自分は弱い人間なので、「今日のあなたは…」なんて、やられると暗示にかかってし まいそうで怖いです。占って欲しい人は雑誌か何かの中の物を読めばいいと思うので すが。どなたかが言ってらしたと思いますけど、こういうものも受け取る側の取り手 次第で、変わってくるものかもしれません。無理矢理な感じもしますが、例えば、仏 教の経文の中にある文と似たものが、聖書の中にあるように、私としては、キリスト 様もお釈迦様も伝えたかったもの、言いたかった事の本質は同じ事ではないかと思い たいのです。でも、受け取る人が違うと全く相容れないものになってしまう訳で、こ ちら側の姿勢次第という気がします。

 話しは飛んで、私の友達に彼女いない歴が自分の年齢と同じという事を気にしている 人がいますが、そんな人はざらにいるような気がします。表面上のカッコ良さに惑わ されてしまう女の人が多いからかもしれません。どんな人だってカッコつければつく わけで、そうしたくない人が個性的な人として存在する訳です。「こんな服装で、こ んな髪型で、こんな仕種で、こんな喋り方をして、ラッパ−ですとか、波乗りしてま すとか、サッカーやってますとか、ドリフトキング??とか」それらしく振る舞おう とすれば、誰でも出来てしまう訳ですが、自分の世界がしっかりある人は「人から見 た自分がどうか」で生きているのではなくて、あくまで「自分はどうか」だけでやっ ていて自分の中に基軸があります。人から見たらカッコイイとは言われなくても、そ れは十分カッコイイと思います。今、この先生の事を考えて書いていた訳ではないので すが、私の同級生がとても気に入っている先生がいるのですが、その先生が実習中に 話している時、自分は「アウトドアが好きだ」というような話しになって、その先生 の言う「アウトドア」というのは、「海で貝殻を拾うとか…」というものらしいんで す。なかなかいい味出しているなと思いました。ハンサムさんとは言い難い先生のこ の味を理解している同級生もなかなかのもので、私はつい、この2人の上に10年後 くらいに幸せの鐘の音が「ガラン、ゴロン」と降り注いでいる所を想像してしまいま した。

 いつか、自分の上にも鐘の音でも、神主さんの祝詞でも、お坊さんのお経(これは困 ります)でも、降り注ぐ日が来るかしら、来ないかしらと思いつつ、そろそろ休ませ て頂きます。

竹松 舞

(2002.11.20掲載)

 

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