舞さんからのメッセージ(2001.11.9)
 

 

舞さんからファンのみなさんへのメッセージ(2001.11.9掲載分)です。

 

 

 11月ですねえ〜。銀杏の葉が可愛く色付いてきてなかなか素敵ですが、あの落ち葉を踏む「かさこそ」という音と共に寒い冬も少しずつ近付いてきているんですね。
 寮のご近所の部屋の子達とハロウィーンの真似事をしました。その昔若かりし頃に、赤頭巾ちゃんと、魔女になった事がありますが、今回のは仮装はいっさい無しで、ハロウィーンの意味など全く構う事無く、ただ単にそれにかこつけて、ランタンにするはずのカボチャを食べたにすぎません。カボチャの中にツナやきゅうりをマヨネーズで和えて入れて食べたら、なかなか美味しかったです。家に居ると、「あれが足りない、これが今一つ」なんて思うのですが、寮にいると小さな事に幸せを感じます。
 食べる物といえば、最近牛肉を食べていません。親にあぶないと言われ、食べられません。友達もやはり、親(医者)から止められているらしく、「牛肉食べた〜い」と話しています。狂牛病の牛にあたるのは、くじに当たるようなものなのでしょうが、どれがそうなのか、分からない以上どうする事もできませんよね。もう食べてしまっているのかもしれないし、、。発病までの期間が数十年と長いらしく、自分の時ではなく次の子供の代で、出る事もあるとか、、。政府は怠慢ですよね。どうして、イギリスで狂牛病で大騒ぎしている時に日本にあぶない飼料が入ってくるのを、止めなかったのか?酪農家が可哀想です。焼肉屋さんが気の毒です。牛丼屋さんが困っています。そして私も辛い。早くきちんと検査方法を確立させて、牛肉を食べられるようにして欲しいなあ。
 私は今、イタリアでとても苦しい立場にあるサッカーの中田選手に興味があります。ここをどう乗り切るのだろう、乗り切れるのか、乗り切れないのか。誰にでも思うように事が運ばない事があります。そこをどうやって超えていくのか、お手本を見せて欲しいと思っています。書かれている物を読む限り、マスコミの人は厳しいですね、彼はもう終わりだという言い方までされています。本当に終わってしまうのか、、、。
 それにしても、中田選手は報道陣に好かれていないようです。インタビューになかなか答えないというのもあるのでしょうが、何処か自分を演出しすぎているのが気になります。コマーシャルを見ていても思うのですが(コマーシャルの選び方、作り方にもこだわる人だそうなので)山梨出身の中田ではなく、生まれた時から世界の中田なのだと、人に印象づけたいみたいだなあと思って見ています。プロのサッカー選手として、自分を高く売る事は素晴らしいし、そこに計算が働いてもちっともおかしくないと思うのですが、それ以外の所であまり演技をされると、少し、しらけた気分になります。本物の「世界の中田」であれば、逆にもっと日本を愛している人として我々の目に写っても良いのではないかと思うのですが、、。できたら、ここを乗り切って本物の「世界の中田」になって欲しいのですが、サッカー選手の寿命は短いらしいので、「どうする中田」「どうなる?中田」と興味を持って見ています。
 運動選手ではなくても、他の仕事でも、上手くいかない時にどうするか、というのはとても重要な事ですよね。そこでとる態度でその人の資質のようなものが、問われるのかもしれません。一度ぺしゃんこに潰されても、又別の形で蘇ってくる人もいますし、松下幸之助さんのように、「成功するまで止めなければ、失敗はありえない」と言う人もいます。これは、当たり前の事ですが、凄い言葉だと思います。失敗か成功か?なんて事は他人が決める事ではなくて、自分が決めればいいのですから、上手く行かなかったら、成功への途中なのだと思えばいい訳ですよね。納得。今度何かでつまずいたら、そう考えるようにしようと思います。
 前にここで、宗教の事に触れたので、それについて色々教えて下さる方がいて、とても勉強になりました。管理人さんも又詳しくて、少しずつ教えを説いて下さるのですが、どんな宗教でも、自己流の哲学でも、心理学でも、何でも、依って立つ所のある方のほうが、安定感のようなものがありますよね。心の拠り所が在る方が前向きに生きられるのかもしれません。
 又親子喧嘩について心配して下さる方もいて、親のあしらい方を伝授して頂きました。ただ私は、親には全くと言っていい程隠し事をした事がなく、親は私の事は全てお見通しという所があるので、なかなか、あしらうと言う訳にはいかないかもしれません。機会があったらやってみます(笑)。
 犬は誉めてやるととても喜んでいい子になりますが、私も犬と同じで、やはり揺るぎない愛を感じられないと頑張る気がしなくなります。親でも、祖父母でも、兄弟でも、もっといったら、神様のような大きな愛でもいいのかもしれませんが、喜んでくれる人悲しんでくれる人が一人でもいれば、人は曲がりそうになっても、最後の最後で踏ん張って生きていけるような気がします。やっぱり愛です。生きていくのに一番必要なのは、御飯の前に愛です。よね?
 という訳で、支離滅裂な文は、このあたりで終わりにします。読んで下さってありがとうございました。

竹松 舞

(2001.11.9掲載)

 

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