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舞さんからファンのみなさんへのメッセージ(2001.5.30掲載分)です。
梅雨に入ったかと思うようなお天気が続いていてなんだか時々気分が滅入ります。私は雨の日はあまり好きではありません。できれば自分が眠っている間に降って欲しいなんて思いますが、夜中にお仕事をされている方もいるのに、なんて身勝手なんでしょう。それに「私は雨が好き」なんて言う女性のほうが、なんだかしっとりしていて美しい感じがしますよね、それだけで、詩人なんじゃないかって思ったりもしますけど、、、。
最近ボンジョヴィのCDを聴いていてやっぱりジョン ボンジョヴィに恋している自分を改めて感じたりします。彼はなんと言っても私の12歳の時の初恋の人なわけで特別な人であります。そろそろ洋楽に私の興味を向けたいと思って、母が仕組んだ罠にまんまとはまってしまった訳ですが、お誕生日にもらったビデオの中のジョンに感じた気持ちは、まさしく恋というものだったと思います。奥様と子供さんのいる事が分かった時のショックったらなかったです(笑)。
ところで世の中には科学的に説明できない事は信じない、という人が多いと思いますが、(私もどちらかというとそうですが)何故「心」の存在だけは疑う人がほとんどいないのでしょう。心って何処にあるんでしょうか?頭の中なのか心臓のあたりなのか?時々とても不思議に思うんです。誰もどこにあるとも、どこで見たとも言っていないのに、その存在を否定する人に会った事がありません。そしてその実体のないものに、どれだけ自分が好き勝手に動かされているのかと考えると、ますますその存在がとても大きなものに思えてくるのです。「心」というか「思い」のようなものによって、人は凄いエネルギーをもらって力を発揮したり、また逆に自分のなかの全ての力を奪われて生きる事さえやめてしまおうとする事だってあるわけですよね。その心、思いというものによって右にいったり、左に いったり、前に進んだり後ろに戻ったり、、、私は今、ハープを弾きたいという思いで、ハープを演奏する人間になっていて、医者になりたいという思いで医学の勉強をするようになっていて、、なんだかその摩訶不思議な「思い」というもので自分が突き動かされているようで、心の持つ意味がとんでもなく広大無辺と言う感じがしてしまうのですが、、。
ただ同じ出来事に遭っても、人によって感じ方は千差万別で、同じ物を見ても又そこから受ける印象はそれぞれで、自分の心の姿勢一つで最低の事も最高までもっていけるかもしれないし、つまらないつまずきから自殺を考えてしまうかもしれない訳で、つまりは自分の感じ方しだい、「思い」しだいでその「心」も自分でコントロールできちゃうんですね。そう考えると、自分の人生は何か大きな運命みたいなもので勝手に動かされているんじゃなくて、自分の人生は自分の「心」「思い」で動いていて、やっぱり自分の人生は自分のものって思うと、なにか嬉しくなりますよね。
何か異議有りっていわれそうな事を書いてしまいましたが、私はそう考えて元気に生きていこうと思います。
くだらない私めのおしゃべりに付き合って下さって、ありがとうございました。
それでは又次回まで、さようなら。(2001.5.30掲載)