舞さんからのメッセージ
 

 

 舞さんからファンのみなさんへのメッセージ(2003年9月17日掲載分)です。

 

 

 庭にある、龍之介用の水の鉢の中にうつ伏せのかまきりの死体?を発見しました。ジャンプの途中でショックな事があり、水の上に墜落したかのようで、哀れでありました。それとも、最近の暑さで、調子が狂ったのか、卵を産んで力尽きたのか・・。そこから連想した事と言えば、やはり法医学のテキストに載っていた沢山のむごたらしい写真でした。その写真からは、米国にいるうちに、試験勉強を始めようと思って教科書を開いた、あの瞬間が蘇ります。シデムシの幼虫による白骨化、鉄パイプによる二重条痕、亜ヒ酸による小腸の膨張・・。残念な事に、夜、一人の部屋で、その気分は誰とも分かち合えず、高く叫ぶところも、「うわ〜〜」ではなく「うっうわっっ」くらいに押さえられたものになりました。でもボストンでは、この時以外はずっと笑顔でいられる日々でした。周りの人みんなが優しくて親切で、温かかったので、なんだか、ずっとニコニコしていたような気がします。大学のカフェテリアのおばちゃんや、地下鉄のトークン売り場のおじちゃんまで、いい人でした。たった一人で誰も知らない人間ばかりの所へ出掛けていくので、最初はかなり不安に思っていました。学生の私なんかに、できる事があるんだろうかとも思っていました。ただ、どんな結果であっても、自分がこれから勉強する為の大きな動機づけが欲しいと思っていました。私はまだ、臨床のトレーニングを始めている訳ではないので、研究室で勉強させてもらえる事が決まった時は、それだけで本当にラッキーだと思いました。まだ学生の分際なので、自分のアイディアで研究をするなどという立場にはありませんが、単なるお手伝いの域を超えて仕事をさせてもらいました。
 私の行ったハーバード大学のラボ(研究所)は、チェアマン プロフェッサーと呼ばれる日本の教授に相当する方のもちものになりますが、独立して色々な研究者がそれぞれ別個の研究をしています。私が勉強させてもらったのは、パトリックという小児科の先生(医者)が、先天性の心臓疾患について研究しているものでした。パトリックが自分の仮説に基づいて遺伝子のレベルで操作をしてあるマウスの心臓を私が6μmという薄〜い薄〜い切片に切って、観察していって病気を発見するというものでした。異常を発見するという事は正常な物をじっくり見ておかなければいけないので、最初の二日間は正常な心臓をひたすら観察しました。その後はいよいよ遺伝子を操作したマウスの心臓を見るという事になりました。そこからは、私の見つけた物はことごとく、パトリックの仮説を裏付ける 結果となりました。ある日、彼自身も他の誰もまだ発見していないという病気を私が見つけた時は本当に驚かれ、めちゃくちゃ喜ばれました。そんな訳で、私はお約束になかった臨床の勉強もさせてもらえる事になりました。実際の患者さんの心臓も覗かせてもらい、新しい患者さんの治療方針を決める為に先生数人が集まるカンファランスにも連れていってもらいました。最初から最後まで、とにかく高い水準の本物に触れて、本物を見せてもらったという事は、貴重な経験でした。そして、この先も面倒をみてもらえるそうです。パトリックは実験が上手くいったので、気分が良くて「もう、なんでもしてあげるから」という感じで、論文に名前も載せてくれると言っていました。まあ、名前はどちらでも、彼にはずっと気分よくいて欲しいものです(笑)。
 いつもホテルとラボの往復で、どこにも出かけないので、研究室では毎日のよに、「観光スポットは何処か見たか」と聞かれ、ちょっと答えるのが面倒臭くなっていました。そのうちに、本当に心配した教授の○○○先生が、車で色々な場所を案内して下さいました。先生が案内して下さった何処の場所より凄いと思ったのは、先生が9月から大学と兼任される世界的に有名な某製薬会社の真新しい研究室でした。ガードマンさんが、24時間厳戒体制で、見守るそこは、9月から150人もの人を使って先生が研究を始められる、真新な舞台でした。最新の設備の素晴らしい舞台ですが、必ず結果を求められる厳しい世界で、なんだか怖い気がしました。私はそこで、紅茶を頂いて、まっさらなトイレを借りて「やった−」と思って帰ってきました。何でも一番は気持ちの良いものです(笑)。
 そんな事をしていたら、早く始めるはずの試験勉強が、ちっとも進まず、戻ってからの二週間の試験期間は必死でのりきりました。それから、そのまま写真撮影へ、レコーディングへとなだれこんで行く感じです。そして、レコーディングの直後には又試験が始まるという、なんだか凄まじいスケジュールです。10月に入って、次の試験期間を終えたら、水面に顔を出して、一瞬だけ息継ぎができたらなあと思っています。
 そうそう、ボストンではボストンシンフォニーが夏休みに音楽祭でヨーロッパへみんなお引っ越ししてしまっていたので、ハープが借りられませんでした。それで、最後に行き着いた所はなんと、スワンソンというハープを作っている人の所でした。スワンソンのハープは私も買おうと思った事があったのですが、その人の家でハープを弾く事になるとは思ってもいませんでした。そこで私は、45本の弦と33本のピアノの黒鍵に相当する弦が途中で交叉する、1840年代のクロマティックハープと呼ばれる物を見ました。現代のハープの年代のかなり古い形の物は見た事がありましたが、今の形に落ち着くまでのハープの改良の跡を目で見るのは、なんだかワクワクしました。
 私の夏休み話しも時間が経ちすぎていて、あまりホットではなくて申し訳ありませんが、私にしてみれば、まだまだ冷めてしまう所まではいきません。これから、徐々に今までの学校生活に戻っていきます。それでは、又色々御報告させて頂きます。

竹松 舞

(2003.9.17掲載)

 

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