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舞さんからファンのみなさんへのメッセージ(2003年5月20日掲載分)です。
我家の庭に紺色の手袋が片方落ちています。日によって落ちている場所、置かれている形が違いますが、これを私は「冬の忘れ物」とか「龍之介の戦利品」と呼んでいます。誰の物なのでしょうか?或る日、気が付いたら、それはそこにあって、龍之介の物になっていました。フェンスの向こうから撫でて下さった方の物なのか、佐川急便のおじさんの物なのか、ガスのメータを見に来た女の人の物なのか・・。持ち主はどなただったか分かりませんが、とにかく今は龍之介の物なのです。この頃は、さくらも散って、必要の無くなった物ですが、次の冬が来る前に持ち主だった方に新しい紺色の手袋をお返ししなくてはと思っています。ちょっと枯れた芝がついた少し砂にまみれたその手袋を見る度、取られた人がその時どんなだったかを考えると、申し訳なさと可笑しさが入り混じって、思わず一人で苦笑いをしてしまいます。それと同時に、当たり前ですが、「今迄冬だったんだなあ」と意味のない感慨を覚えたりします。でも温かい日に寒かった時の事を想像するのは難しいものですね。自分が足りている時に飢餓感をもっている人を思いやるのが難しいのに似ています。
それにしても、「春眠暁を覚えず」なんて春のせいにしてはいけませんが、この時期はなんと穏やかで、優しい季節なんでしょうか?。先日公衆衛生の授業の時間に、私は別の世界に行っていたようで、ふと我に帰った時、友達から「顔にAとかBとか書いてあるよ」と指摘されました。なんと、プリントの上にうつ伏せて寝ていたら、その文字がほっぺたに写ってしまったようです。あわてて、隣の子の鏡を借りて消したのですが、「A水質基準」なんて、しっかり読めました。私達は大学からは禁止されているにもかかわらず、一年間、講義を受ける席が固定されています。四月の初日に取った席がその年の自分の席となります。去年まで何も知らずに、始業時間ぎりぎりに大学に着いた私は、その事実を知って愕然となったのですが、案の定、一番前の席しか空いていませんでした。そうと決まれば、それはそれで、なかなか勉強には適した席で、良かったと思えたのですが、今年はちょっと頑張ってみました。朝7時くらいに学校に着き、そしてそれより前に席取りをしていた友達から余った席をありがたく頂戴し、なかなか居心地の良い所に落ち着きました。そんな訳で先生からは何処に居ても、多分よ〜〜く見えているのでしょうが、顔に文字が写るくらい堂々と休ませて頂いたのでした。どうしても科目によって興味のあるもの無いものと差が出てきてしまって、いけません。どれも必要な勉強なのですが、全科目同じという訳にはいかないものです。それにしても、研究者というのは、何故か自分の研究課題に取り付かれるらしく、或る先生が自分の研究している微生物の名前を娘につけてしまった話には唖然としました。どうか、この先回りの人に名前の由来に気付かれませんようにと陰ながら祈るばかりです。
お昼休みにはとうとう念願の「○○カレー」というお店に行ってきました。年輩の女性が二人でやっているのですが、素晴らしく不味いと評判です。少し保険をかけて、友達と半分ずつという事でチーズカレーとイタリアンという名前のスパゲティ−を注文しました(日本風と言う名のお寿司だと思って下さい)。ドキドキしながら待つと、太くて、とても固い麺のスパゲッティーらしい物と、カレーじゃないようなカレーが出てきて期待通りでした。そのお隣にも、女の人の3文字の名前の食事をする所があって、そこも一度は行く価値のあるお店ですが、和歌山の或事件の容疑者の名前と同じ店名なもので、そこがカレー屋さんではなくて本当に良かったと思うのは、多分私ばかりではないと思います。そうだったら本当に恐いです。
6月には又病院実習のようなものがあるのですが、一番希望者の多い病院で、小児科での実習です。希望者が多いので当然クジで決めたのですが、いつもクジに当たった事のない私が何故か大当たりで、小児科へ行きます。今から少し楽しみです。それにしても、私はクジなんて今迄本当に当たったためしがありません。いつもだいたいポケットティッシュを頂いて帰ります。殆どの人が当たるようなクジでも駄目です。ですから、小児科に行けるのが嬉しいのもありますが、それ以上にクジに当たったという事実が嬉しいです。又実習の模様がお伝えできると思います。当直もする事になりそうですが、その後にコンサートが控えているので、ちょっと気掛かりです。「金沢のコンサートはちょっと特殊だ」と書かれているのを読んで、何が特殊なのかと思ってホームページを見せてもらったら、お客さんをかぎっているのですね。知りませんでした。私は何月、何日、何処のオーケストラから、オファーがあるという事で、お受けできるか、出来ないか決めるので、学校の先生方を対象とする演奏会だとは知りませんでした。色々な主旨のコンサートがあるものですね。
先日、お友達から頂いた本に「天職と適職はちがうものだ」という段落がありました。天職は、天から授かった仕事。自分の魂の為の仕事。好きで好きで仕方ないもの、人に喜んでもらえるものだそうです。適職は自分が持っている頭脳や肉体の良い所をつかってお金が稼げる仕事。生きて行く為の手段なのだという事です。それで、天職と適職は違う人が殆どで、それは天職では収益にならない事が多いからだそうです。一致する人がいるとすれば、それは例えば、魂を込めた絵を描いたら、凄い値で売れてしまった画家くらいなものでしょうか。天職と適職は違って良いのだという事のようです。両方、バランスをとっておやりなさいという内容でした。そういえば、どんなに好きな事でもお金がからんでくると、少し見え方が変わってしまう所ってありますよね。マンガを描くのが好きで、漫画家になっても締めきりに追われるようになれば、様子が変わってくるでしようし、作家だって評論家だって、カメラマンだって、皆さん自分の強い思いとは少し違った事もやってのけている訳で、なるほど、好きな職業についた人もそれを天職とはなかなか言えないものだそうです。だからって、それが悪いわけではないんですね。ドラマーが天職でバーテンダーが適職って事もありですね。鎖ジャラジャラ言わせているヘビメタっぽいお兄さん達も、凄いお仕事をしているかもしれないし、舞茸のしめちゃんは、本職そっちのけで、そのうち「愛」を説いて、世界を唸らせるかもしれないし、人には色々な思いの遂げ方があるものですね。何かをしたいと思っている人達は素敵ですね。中学から高校までずっと同級生なんて人が、いつの間にか、大人っぽい意見を言っていたり、それに熱く反発してくれる人がいたり、私の周りの人は成長し続けているので、私も辛い事があってもお腹の中には「熱い思いの固まり」を持ち続けていたいと思います。自分で燃やしていないと、時々「熱く」なくなっちゃうんですよね(反省)。
もうすぐ、関西方面でコンサートです。SARSの問題は、どうなのでしょうか。バスの運転手さんからはSARSウイルスが発見されなかったそうですが、随分タイミング悪く、熱を出されたんですね。厚生労働省は狂牛病の時から、もっと言えばエイズに汚染された血液製剤の時から100%信用するのが難しい気がします。いずれにしても、このまま何事もなく終息してくれるといいですね。
それでは、今日はこのへんで失礼します。竹松 舞
(2003.5.20掲載)
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