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舞さんからファンのみなさんへのメッセージ(2003年1月21日掲載分)です。
大学で、密かに進行中だったインフルエンザ汚染に、私もやられ、一週間程パワー不足の毎日を送っていました。私がいくら咳きこんで、ウィルスをまき散らしても龍之介にはなんでもないようで、洗われた後、ちょっぴり鼻水を垂らす程度で相変わらず元気に飛び回っております。最近は何故か、犬を連れていない女子中学生のグループにまで、声をかけられるようになっていて「あっ、龍太郎君だ」などど、間違った名前で呼ばれております。何処かのおば様達にも「龍之介君、くしゃみしなかった?噂してたんだよ」なんて言われたり、母に龍之介はあなたの小さい時にそっくりだと言われ不思議な気分でいます。前に触れた事がありますが、私もよく両親の知らない人から「ハイ舞!」と声をかけられていたそうで、「何処で知り合いになったんだろう」というあたりが私とよく似ているんだそうです。似ているのはそれだけではなくて、一度はめをはずすと、とことんはずす所もそっくりだそうです。私が行っていた幼稚園は、モンテッソーリの教えに従った幼稚園だったので、そこは、いわゆる皆でやるお遊技とかゲームをしない幼稚園で、ひたすら、自分がその日選んだ釘を打つお仕事とかボタンをつけるお仕事とかを、黙って一人でもくもくとこなす事を中心に過ごす場所でした。普段は、黙って、かなり集中して、お仕事も続ける子だったらしく、修道女の格好をした園長先生が「まいちゃん、お仕事どう?」なんて聞けば「園長先生は邪魔だから、自分のお部屋にもどりなさい」などど言っていたようです。それでも時々、幼稚園の庭から教室に上がる途中のコンクリートのたたきのような場所で一人寝転がって空を見上げていたみたいですが、これは人の迷惑にはならないので、先生方は面白がって見ていたそうです。
こういう静かな幼稚園で、たまに、「体育館で自由に飛び回っていいです」という時間がもうけられますが、その時はもう凄いです。人の何倍かのスピードで、人の何倍かの奇声を発して飛び回ります。そうです、とことんやります。お許しが出たんですから誰に遠慮がいるものですか、徹底してやります。遠足でだって、持っていったビニール袋に砂をいっぱいつめて、ぶんぶん振り回すんです。回っているうちにどんどん楽しくなっていきます。回りの景色もぐるぐる回って自分だけ違う時間にすっとんでいくみたいです。子供の頃っていうのは、大人のように怪しい薬に頼らなくっても自分で自分をハイな状態にもっていけるものなんですね。楽しいと思えば、どんどん楽しくなれる。小さな事で喜んだり、嬉しかったり。龍之介は家の前を人間のお友達、犬のお友達が通るだけで、幸せそうです。お散歩中は友達のワンコがかけていったオシッコの匂いを嗅いだりちょっと舐めたりするだけで、満足している訳です。「どうして産まれてきたんだろう」なんて龍之介は考えません。ここにいるだけで幸せ。毎日が幸せ。
学校が終わってから、BON JOVIのコンサートに行ってきました。私の前の列にいた中学生の男の子が、コンサートでのりのりの自分がカッコイイと思っているようで、五月蝿く、邪魔でしたが、ジョンの声には、たまらない魅力がありました。どうやってもすっと耳を通り抜けていかないのです。全部私の頭の中に入ってきてしまうんです。音楽的にはもっと凄いと思えるグループは沢山ありますが、声の持つ魅力は私にとってはジョンが最高の存在です。席が遠くてよく見れなかったのが残念でした。
大学の方は解剖が週2日になり、残りの日は別の生化学の実験が始まりました。この解剖も2月までで終わりになります。ずっとお一人のご遺体と付き合って頂いて、本当にお世話になったと思います。後少しですが、もうしばらくだけ、おつき合い下さいね。
私はたまに、クラシックの演奏家同士で、ライバル意識とか持つのかという質問をうける事がありますが、残念な事に私は音楽の世界の人にライバル意識も、憧れも抱いた事がありません。勿論音楽家との恋も多分ありえないと思います(笑)。私の日常はどうしても学校という場所を中心に回るので、私は他の演奏家の方のように朝から晩まで音楽にどっぷりつかって生活していない分だけ、意識が音楽の世界にないのかもしれません。あんな風になりたいと思える人がいるとすれば、それは音楽家より科学者だったりするかもしれません。
CDの方は今迄、一度もやった事のないハープのみの物を作りたいというのがディレクターさんの希望で、そのままいきそうです。レコード会社の方も中で組織が二転三転してやっと四月から落ち着くようで良い形でスタートできそうとの事です。ディレクターさんはジャケットの事もいつも色々考えて、一番良いカメラマンさんを選んでいるつもりらしいのですが、カメラマンさんの子供さんが音楽をやっていたりして、敬意を表してくれて、演奏家の像を頭の中で作り上げてとってくれるので、私らしくなくなるのではと分析しておりました。
3月のルネ小平での演奏は本当は私がいつか弾きたいと思っていた「リラ アンジェリカ」という、オリンピックの時ミシェルクワンが使っていたイギリス人の作曲したハープコンチェルトを弾く予定でした。ところが、日本ではまだ弾かれた事がなく、オケとの練習に時間を要するため、その頃時間のない飯森さんからのお願いで曲が変わってしまって凄く残念です。
いつか、この曲だけは弾きたいと思っています。
それでは、皆様もインフルエンザには気を付けて元気にお過ごし下さい。
竹松 舞
(2003.1.21掲載)
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