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舞さんからファンのみなさんへのメッセージ(2003年5月7日掲載分)です。
私のふくらはぎを通して毛むくじゃらの弟の体温が伝わってきます。指ならしのスケールを弾き始めると私のハープの椅子の下に、何処からともなく弟は現れます。そして、わざと半分自分の体重を私の足にあずけてごろんと横になります。「ねえちゃん、好き好き」という気持ちを、足から伝えられて、私は心までとろけそうになりながら、新しい曲と向かい合います。触れる事で伝えようとする「僕はここにいるよ」という弟のメッセージは、あまりに素直であまりに心地よいです。あ〜そうは言っても、右側半分ペダルが全部踏めません・・・(涙)。
今、私がコンサートの為に準備している曲は「リラ・アンジェリカ」というイギリス人のオルウィンという人が作曲したものです。ある、音楽雑誌の取材の時に、編集者の方から「この曲を御存知ですか?」と紹介して頂いたものです。勿論、その時まで知りませんでしたし、今の所、CDも手に入らず、その方から頂いたMDのみが音材として手元にあります。もしかすると、日本ではまだどなたも公の場で演奏された事がないかもしれません。
新しい曲が形になっていく過程が日々の練習の中で一番楽しいような気がします。所々に難所はあるのですが、頭の中にある音に実際出てくる音が重なっていく時が好きです。部分部分が出来上がっていっても全体の形が掴み切れていないと不安ですが、全体が見えてくると気持ちが落ち着いてきます。なんでもそうですが、相手が正体不明の時は、ただそら恐ろしいものに思えます。暗闇の中で手探りで物を探っている時は対象物の輪郭を掴むまで、なんだか恐いのですが、正体が分かった途端「なんだ○○じゃん」となります。そんな訳で、音楽に限らず、全体と部分とをバランスよく見ていかなくてはと思っています。大きな曲なのでそれなりに大変ですが、ずっと弾きたかったものなので、なんだか嬉しくもあります。それと同時にしばらく弾いていなかったヘンデルも金沢でのコンサートの為に弾いています。正直に言うと私はあまりこのヘンデルのコンチェルトが好きではありませんでした。それが、久しぶりに弾き始めてみると、流石はヘンデル、なかなかいい曲だったのだと思えてきました。違った気持ちで向き合えば叉違ったものが見えてきたりします。大学の勉強が面白かったり、大変だったりすると、音楽の事を考えまいとしてしまうのですが、今は嫌でも自分が「ハープを弾く者」なのだなあと思えます。前に先生が「お客さんがたった一人でも、その人に与える影響を考えたら、いつでも絶対に手は抜いたら駄目なのよね」と仰っていた事がありますが、本当にそうだなと思います。「この子の頭に触って下さい」と赤ちゃんを抱いたお母さまに言われたり、「子供に舞さんのようになって欲しい」などと言われると、「私に触られて、頭が悪くなっちゃったらどうしよう」とか「私のようになったら駄目ですよ」とか思いながらも、こんな事を言って下さる人の為にも私はちゃんと立っていようと思う訳です。そこに人生の先輩達が、直接に間接に言葉や体験で、こんな私を育てて下さろうとするので、私の歩みはのろいのですが、どうにか前へ進んでいるような気がしています。うじうじ、ぐちゃぐちゃ考えて一歩、何も考えずに十歩。ただし、この一歩の歩幅は考えた時と考えない時とでは大きく違うかもしれません。
前に教えて頂いてコミックで見ていましたが、「ブラックジャックによろしく」をビデオに撮って週末に見ています。。医者の世界がデフォルメされすぎて少しいびつに見えますが、ある意味核心をついていて、「自分はどうしたらいいか」と考える機会になります。今から自分が準備できる事はなんだろうかと考えたりします。まだまだ、先は長いのですが、今できる事を考えてやっていくしかないと思っています。「今できる事」と考えていくとやらなくちゃいけない事が、いっぱいあるんですね、これが。ありふれた言葉ですが、やっぱり「できる事から始めよう」と思います。重〜〜い足でも踏み出すと、やっぱり後ろではなくて前に進むんですね。それでは初めの一っっっっっっっ歩。どっこいしょっっと。竹松 舞
(2003.5.7掲載)
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