舞さんからのメッセージ
 

 

 舞さんからファンのみなさんへのメッセージ(2005年7月7日掲載分)です。

 

 

 朝、ベルの音に起こされて、目覚まし時計を見て「ん??」何度見ても6時45分 をさしている。今日のポリクリは心臓外科、なんと7時集合のはず。あちゃ〜、やっ てしまった。マッハのスピードで顔を洗って、コンタクトレンズを入れて、飛び出しました。足の 下を横っ腹を突き抜けるような感じで入ってくる電車の上を垂直に跨ぐように橋の 上を駆け抜けて、大学まで走って走って、間に合いました。奇跡かもしれない。今日、 手術のある日だったら死ぬなあ〜。一時間しか寝ていないし…。そんな事を考えな がらも、私は少し元気でした。今朝方仙台からハープと一緒に車で帰ってきた私は頭 がまだ興奮していました。もしかしたら、長いトンネルから抜けられたかもしれない という感触がありました。ここしばらく思うような演奏ができなくて、ずっと頭の中 でだめだなあという思いがグルグルしていました。コンサートの後は独りで悶々とす るばかりでした。昨日は何も考えずにモーツァルトの曲の一部になろうと決めました。 昨日のサントリーホールでの公演を終え、4日、仙台での演奏を最後に翌日帰国する ドイツ室内管弦楽団の方達がステージにそろう間、私は舞台の袖でシャドーボクサ ーのように、スタートを待つスイマーのようにリズムを刻んでいました。優雅に髪に そっと手をやる山形由美さんの横で私はちょっと危ない人だったかもしれません(笑)。 とにかく頭の中をモーツァルトでいっぱいにして、そしてそのまま演奏を終えました。 指揮者のリスタ・サーヴィチさんの満面の笑みとお客様の心からの拍手と声を久し ぶりに聞いて、トンネルの先に光を見ました。又、見失う光かもしれませんが、どち らの方向に出口があるのか分かったような気がします。余談ですが、「私達うまくでき たわね」と微笑んだ山形さんは、演奏はもとより笑顔も立ち居振る舞いも美しい方 で、どうしてこの人がスターなのか分かった気がしました。モーツァルトのフルートと ハープの為の協奏曲が最後の曲だったので、公演後、山形さんと二人で、それぞれのCD に二人のサインをする形で、お客様と直接お会いしました。終わった後はもう新幹線 はなく、翌日の実習は休めないので初めてハープと一緒に長距離を車に乗せてもらっ て走りました。朝方東京に着き、そしてそれから、目覚まし時計による一時間設定ミス 事件が起き、短距離走をやるはめに陥った訳です。

 とここまで書き、ほんとうに久しぶりにホームページを覗かせて頂いて、そこで又 私は自分が知らない間にかけていただいていた温かい沢山の言葉にふれる事ができま した。今居る場所に自分の種が落ち、小さな芽が出て、木になれるのか花を咲かせら れるのか、実をつける事ができるのか、全部未知数ですが、自分の人生が終わる時に 他の誰でもなく自分が自分であるように、私が私になる為に今があるのだと思います。

 人の役に立ちたいと言う事がありますが、それは本当は自分がその「ありがとう」 という言葉から水やら光やら養分を頂く事かもしれません。太陽の光というより、ご 自分の手のひらのぬくもりで暖めて下さるような人との言葉や心の触れ合いは、私の 種が落ちた場所に根をはやさせ、茎を伸ばし葉を付けさせてくれるかもしれません。 きっと自分では何の木か分からないのですが、倒れて土に帰る前にひと粒くらい実をつけ て、見つけた人の喉を潤おせたら最高に幸せですね。

 余談ですが、私が見つけた心臓の病片に敬意を表して(そんなにたいしたもんではないのですが)パトリックが仕上げた論文に名前を載せてくれました。しかもMAE TAKEMATSUです。 彼には何度言っても私をマイと呼びMAEと書きます。MAIと書いてマイと呼ばせるに は無理があるのですが、でもMAEってなんか力が抜けるんですよね(笑)。あぁそうだ、 これも余談ですが、先日患者さんの腕の反射を見させて頂こうと思って、膝に手を 置いて下さいとお願いしたら、私の膝に手を置かれて一瞬戸惑ったのですが、そのまま検査 を続行致しました。こんな小さなハプニングが私の毎日を楽しく明るくしてくれて おります。それでは皆様への感謝を胸におやすみなさい。

竹松 舞

(2005.7.7掲載)

 

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